大学時代、僕はスノボにドハマりしていた。
冬になれば、雪山へ。
ハーフパイプに入っては「オレ、イケてる感」を全力で出していた。
あの頃は「上手くなればモテる」という幻想が、僕の全てを突き動かしていた気がする。
就職してからもその勢いは止まらず、新卒で入った会社でもスノボ好きな同僚たちに囲まれ、自然と冬になると連れ立って雪山へ行く日々が続いた。
そんな仲間の中に、ちょっと異質な存在がいた。
チーマー風T崎、登場
T崎。
東京出身。
ロン毛。
色黒(サーファーだから)。
渋谷のチーマー風。
……って、「チーマー」って今の若い人に通じるんかな?
たぶん令和の高校生が聞いたら「チーマ? 何味ですか?」とか言いそう。
でも僕らの時代はそれが最先端のカッコよさだったのだ。そう、あの渋谷センター街で肩で風切って歩くような存在。
T崎はそんな“ザ・渋谷系”の空気をまとっていた。
で、なぜかちょっとだけサッカーの北澤っぽかった。本人もそれをわかってて、髪型とか意識してた節がある。
突然の誘い、そして海へ
そんなある日、T崎が急に言った。
T崎:「明日、海行くわ。波、上がってんだよね」
僕:「海…?サーフィンってやつ?」
T崎:「そう、サ〜フィン♪」
なんかムカつくノリだったけど、僕は思った。
「サーフィンか…。でも、スノボできるし、似たようなもんだろ」
そして、何を血迷ったか、思いきってこう言ってしまった。
「俺も行ってみたい。連れてってよ」
T崎はノリノリで了承。板とウエットはT崎の貸し出し。
後から思えば、その板は初心者向きではまったくなかった。ただただ細くて不安定。だけど、当時はそんなこと知る由もない。
初めての海は、想像の10倍しんどかった
そして、迎えた初サーフィン当日。
5月とはいえ、まだ水は冷たい。
寒いし、ウエットもパツパツだし、テンションも謎に上がってこない。
「これはもしかして…早く帰りたいかもしれん」と思ったのは、入水から10分後だった。
スノボ経験者として、最初はイケると思ってた。
「まぁ、板に乗るスポーツでしょ? 余裕やん」と。
ところがどっこい。
サーフィンは、パドリングという悪魔の儀式から始まる。
パドルしても進まない。
板は不安定。
T崎は全然教えてくれない。
「波、見て自分でタイミング掴んで!」とか言われても、こっちは波どころか自分の鼻先も見えてない。
当然、立てるわけもなく、ただただ波に転がされ、全身ダルダルになって浜に戻る。
それでも、また来たくなる。モテたいから。
正直、海から上がった時はこう思ってた。
「いやもう、しんどいわ…帰りたい……」
体はバキバキ、寒い、全然立てない、T崎には全然教えてもらえん。
波どころか、ボードの上に座ることすらできなかった。
心は完全に折れていた。
なのに――
着替え終えて、潮風の中でT崎と缶コーヒーを飲みながら海を見ていると、
さっきまでの疲れがスーッと引いていった。
そして、なぜか心の奥でスイッチが入った。
「…モテてぇ……」
冷静に考えるとめっちゃ情けないけど、
あの海でキラキラしてたT崎の姿が、ずっと頭から離れなかった。
ロン毛、色黒、口数少なめで、波に乗る姿がいちいちサマになる。
そしてなにより、渋谷のチーマー風。
いや、「渋谷の」って言ったけど、あいつ多摩在住やねん。
駅で言うと「聖蹟桜ヶ丘」とかそのへん。
渋谷まで電車で1時間コース。
なのに、なぜか渋谷の風をまとっていた。理不尽。
でも、そんなT崎のサーフィン姿を見て思った。
「このまま“田舎者、初日で心折れる”じゃ終われん!」
「絶対うまくなって、俺もモテてやる!!」
そんな誓いを立てた、20代後半の初夏。
九州から出てきた田舎者が、波に揉まれ、心を打ち砕かれながらも、
サーフィンという新しい世界へのドアを、自ら開けた瞬間だった。
理由はシンプル。
「モテたいから」――ただそれだけ。
次回、「それからどうなった?」編につづく。
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