サーフィン履歴その3:東京から関西へ引っ越した時の話

サーフィン

こんにちは、「おやじサーファーの生き方戦略」です。
「サーフィン履歴」シリーズ、第3弾。今回は、東京での快適なサーフィン生活から一転、関西へ引っ越すことになった話。そして“ひとりサーフィン”の始まりについて書いてみます。

快適だった東京サーフィンライフ

ロングに乗り換えてからは、しばらくそのままロングを続けていた。

正直、うまくなった実感はあまりなかったけど、それでも楽しかった。
一緒に行く仲間もいたし、「たまに立てたらOK!」くらいのノリで、のんびりやってた。

最初は「モテたいから」なんて動機だったのに、
気がつけば、サーフィンはもう「ライフスタイル」みたいになっていた。

週末は自然と海に向かうし、
波に揉まれるのも、帰りにラーメンすすりながらグダグダ喋るのも、
全部ひっくるめて好きだった。

東京にいた頃は、サーフィンするには最高の環境だった。
千葉、茨城、湘南、たまに福島——
その日の風と波を見て、どこへでも行けた。

どのポイントも、車で1〜2時間も走れば海に着く。
波乗りしたいと思ったら、すぐに行動できる。
そんな贅沢な場所に、僕はいたんだなと今になって思う。

快適だった東京サーフィンライフ

初めての関西、ひとりの海

そんな生活がしばらく続いてたんだけど、
仕事の都合で関西に引っ越すことになった。

正直、かなりショックだった。
それまで通ってた海も、サーフィン仲間も、全部遠くなってしまう。

「これから、ひとりで行くのかぁ…」
そんなことを思うと、正直ちょっと気が重かった。

でも、不思議と「やめる」という選択肢は頭になかった。
どれだけ距離があっても、どれだけひとりでも、やっぱり海には行きたかった。

週末、ナビに知らないビーチの名前を打ち込んで、
まだ夜も明けきらない高速を飛ばす。

向かうのは、三重の国府浜(こうのはま)。
家から片道3時間。
ひとりきりのロングドライブだ。

慣れない道、知らない海。
ひとりぼっちの波待ち。

国府浜で気づいたこと

思い返すと、あの頃、週末に口をきく相手といえば、
駐車場のおばちゃんと、帰りに寄るコンビニの店員さんくらいだった。
(しかもどっちも、ほぼ「ありがとう」か「またどうぞ」だけ)

それでも、国府浜の広いビーチとゆるやかな波、
そして、何より海の匂いに、僕は毎回救われていた。

サーフィンは、誰かとじゃなくても続けられる。
そんなことを、この頃ようやく少しずつ実感していった気がする。

誰かと一緒じゃなくても、波は僕を受け入れてくれる。
そんな実感が少しずつ育っていった、関西での新しいサーフィン生活でした。


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